バクタモンとの出会い
                                              元東京農業大学 教授 金木良三 農学博士

  1.バクタモンとの出会い…
    バクタモンの名前を聞いたのは、確か昭和28年〜9年頃だったように思う。私の勤務する東京農大の研究室−作物研究室にお二人の方が訪ねて見えた。
    研究室は主任教授と私の二人だけであったが、その主任教授がご不在で、私がそのお二人にお目にかかった。頂いた名刺には、宝蔵産業(株)とあり、お一人は確か清都さん、もうお一人は少し若くて谷内さんと言われた。谷内さんが訪問の目的を話されたが、清都さんはニコニコ聞いておられた。
    話の内容は、作物の増産に効果が期待できる微生物肥料〜微生物利用農法についてであった。その製品の名称がバクタモン−バクテリア ホルモンの略で、草鹿中将が満州から持ち帰られた畑土壌中より分離された数種類の微生物を分離培養されたものと言う事。分離培養し、製品化したのが、元京都大学の吉岡藤作博士との話。(この経緯は『バクタモンの由来』に記載)
    7〜8年は経過しているとは言え、当時の日本はまだまだ食糧不足の時代。私も主食である米の増産を目的とした稲の直播栽培に関わる基礎研究をやっていた時代。作物の生産性を上げることには強い関心を持ち、いろいろな情報にも気を配っていた時代でもあり、バクタモンの名称を聞いて思い出したのは「シロガネキン(白金菌)」のことであった。
    昭和17年4月、農大に入学して大学の新聞部に引っ張られ、入学して半年、取材行かされたのが微生物利用農業・白金菌利用実態の調査。東京は落合長崎に住む方の畑での試験栽培を見に行ったのが微生物農業を知った最初である。
    都会生まれの都会育ちの私が、農業のノの字も知らずに、比較相違を見せ付けられ疑問らしい疑問、質問もそこそこに引き上げてしまったが、微生物利用農法と言う印象だけは強く残った。


  2.バクタモンの利用研究
    バクタモンについての紹介を受け、主任教授に研究受諾について了解は受けたものの、主任教授からは一本釘を刺されていた。バクタモンの研究は良いが、主任教授より与えられている研究が第一であって、その余暇にやれという。言うなれば、バクタモンの研究は作物学研究の分野から見れば、少々脇道にそれると言うのが主任の見方であり、私に早く学位論文を仕上げるようにとの配慮があったものと考えられた。
    当時の作物学研究は、作物そのものの生態・生理学的研究と生産学的研究に二分されていた。当時の水稲反収は10aあたり330kg程度。全国水田面積は約300万ha。戦後の疲労もあり、化学肥料も少なく、労力も不足気味で水稲の反収増加は作物額研究者にとって至上命令に近い世間の要求であった。
    私の研究テーマは、水稲の基礎的研究と生産学的研究の中間にあった。昨今ほど水田の水利事情は良くなく、労力も不足の時代。生産性を上げるための手段も未熟で、水田作土の深浅が漸く認識され始めた時代。

  節水を兼ねて労力節減の方向で、乾田直播における水稲の生態・生理学的研究が私に与えられているテーマであった。水稲の直播きでぶつかっていた問題の一つは、直播きによる水稲の過剰分ケツの抑制であった。方法としては、乾田直播の湛水灌漑開始時期により、分ケツの抑制が可能か否かの追求中であった。
    私を訪ねてこられた谷内氏は、バクタモンを施用すると、一時的に窒素飢餓の状態が見られると説明された。この話が、私の頭に強く残っており、窒素飢餓を人為的に施すことにより、過剰分ケツが抑制可能となり、栄養成長から生殖成長への転換がスムーズに行われるのではないか…との発想が生まれていた。
    主任の意向に逆らわず、与えられた研究テーマを生かしながらバクタモンの農業利用研究ができれば、これに越した事はないとの考えが、私の気持ちを楽にさせた。早速、谷内氏に連絡。バクタモン施用による一時的窒素飢餓の報告文献を求めた。しかし、その返答は文献としてはなく、農家の経験的報告に過ぎないことと返事が帰って来た。 



 3.バクタモン施用試験
    戦前−昭和20年の農大は渋谷常磐松にあり、現在地−世田谷への移転は空襲で焼け出された翌年、終戦後の9月であった。もと陸軍の機甲整備学校の跡地で、正門を入るとすぐ右に守衛所があり、構内には軍隊時代の木造宿舎が立ち並んでいた。構内は広く15ha余り。渋谷時代の7倍以上と、却って恵まれる結果となった。
    戦後10年以上も経過しながら復興は進まず、殺風景なキャンパスではあったが、試験圃場はどこでも良く、やる気、資材さへあれば、何とか研究は可能であった。キャンパスの一隅に試験地を確保し、ポット試験を主に研究を行っていた。
    バクタモンの施用試験もポットを工面し、心土の赤色火山灰土壌を定量充填し、5月中旬水稲農林29号を播種した。乾田直播の形式で1ポット10粒播種。5〜6葉次に間引き、2株仕立てとした記憶がある。水管理は畑状態で 幼穂形成期までは、通常の管理で推移。

    今書いている事はもう、40年以前のこと。リタイアして10年近く、当時の資料は残念ながらもうない。全く記憶のみ頼っての記載。無責任を承知での記載と…乞うご了承。

    初めての試験ではあり、バクタモンの施用は幼穂形成への発育転換がスムーズに行くか否かの確認にあった。
    バクタモン施用量は10aあたり20kgとして、1ポットあたり1gを基準として、2g、3gの区と無施用区。施用時期は幼穂形成期と思われる時期の5日前とし、バクタモン施用後5日目から徐々に湛水灌漑に移行させ、7日目には水深3cmとした。
    私、個人の研究に組み込んだ試験であるから、湛水灌漑開始時期の異なる幾つかの試験区もあった。
    1区のポット数は7本。バクタモン施用区は4区。それ以外に湛水時期の相違による試験区が4区。合計8区、72本のポット試験であった。
    結果だけを簡単に述べよう。
    2g施用区で発育転換はスムーズに行われ、施用3日目で葉色は薄い光沢のある黄色味かかった緑となった。
    1g施用区では、まだ、緑は濃く3g施用では、葉は黄色みを帯びたが光沢はなく、葉色の変化からは明らかに2g施用が良かった。


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