雹害に襲われた苗
長野県南牧村の野辺山地区は、標高1,300m以上。冬場は気温が-20℃以下になり、夏も冷涼な地域です。黒岩洋一さん(52歳)、順子さん夫妻は、日本で最も標高が高い小海線の野辺山駅近くで、白菜、キャベツ、レタス等の高原野菜を栽培しています。
2019年6月24日、南牧村や原村を大粒の雹が襲いました。洋一さんが翌朝に畑を見に行くと、畝間に雹がびっしり。まるで雪が降ったように残っていたそうです。
定植後、マルチの上に広がり始めた外葉は、雹に打ちのめされてボロボロに。キャベツも白菜も、畝間に破れた葉の破片が弾け飛び、地上部にはかろうじて芯だけが残っている状態でした。
地域全体の農業被害額は、9,300万円に上りました。周囲の農家の人たちは、「今植え替えれば、まだ間に合う」と、すぐさま傷ついた苗を抜き、新しい苗を植え替える作業に取りかかりました。けれど畑の様子を見ていた、妻の順子さんはこう言います。
「お父さん、この野菜、絶対回復するから、植え替えはしないでね」
それを聞いて、黒岩さんは「妻の自信は、いったいどこから?」と思いながら、害で傷ついた苗を植え替えず、祈るような気持ちで回復を待ちました。
すると、その10日後…
順子さんが予想した通り、中央の芯から新しい葉が芽吹いて広がり、野菜たちは本当に復活を遂げたのです。
地上部の葉は悉く破れ、散り散りになっていたのに、ここまで復活!
例年より少し遅れたものの、無事収穫に漕ぎつけることができました。
順子さん「これまで20年近く、川上さんに指導を受けながら作り上げた、微生物いっぱいの培土で育てた苗を畑に植えたんだから、必ず復活する」
黒岩さん「どんな強い雹を受けても、根っこまでやっつけることはできなかった。うちのカミさんが信じたのは、私ではなく、川上さんの指導と野菜たちの根っこだったんです」
黒岩さんにずっと土づくりを指導してきたのは、塩尻市で自身もレタスを栽培している川上徳治さん。雹害を受けても負けない根を持つ作物を育てる土づくりには、どんな秘密があるのでしょう?
それを解明する前に、黒岩家の歴史を振り返ります。
野辺山の開拓農家
黒岩家のルーツは、洋一さんの祖父、競さんの時代にさかのぼります。黒岩家の第8子として生まれた競さん。「自分がもらえる土地はない」と一念発起。20歳そこそこで野辺山へ開拓に入り「見上げた若者がいる」と新聞に取り上げられたほどでした。戦時中は満州へ渡って、開拓団のリーダーとして活躍。敗戦後ふたたび野辺山へ戻り、「1軒10町歩(ha)」を目標に掲げ、開拓を始めます。
標高1,300mを超える野辺山は、冬場の気温が-20℃以下となる極寒の地。開拓を始めたものの、厳しい環境に耐え切れず離脱した人も大勢いたそうです。昔から軍馬の産地として知られ、鉄道の小海線が走っていたので、戦後は冷涼な気候を生かし、レタスなどの高原野菜を育てれば、米軍や都市部の消費者に向けて有利な価格で販売できる。そんな条件もそろっていたのです。
競さんはほぼ手作業で農地を開墾。大岩をダイナマイトで吹き飛ばし、原野を伐り開くなどして、5haで栽培を始めました。
「ここから見える農地は、全部うちの畑です。大型機械も重機もない時代、ここを伐り拓いた祖父はすごい!」
競さんから数えて三代目となる洋一さんは、18歳で就農。農協へ勤務していた父の勲さんと1年だけ一緒に栽培した後、畑を任され、白菜、レタス、キャベツを作り始めます。
このままでは畑が壊れる
就農当時、黒岩さんはかつて10aあたり7袋(140㎏)の化学肥料を投じていました。「雨が降って、白菜の玉が小さくなれば『肥料が足りないんだな』って、すぐ入れる。雨が降るたび肥料をどんどん増やしていって、気がつけば12袋(240㎏)に。野辺山でも1、2位を争う化学肥料栽培の農家でした」。
当時を振り返り、妻の順子さんが教えてくれました。
「たしかに私が嫁に来た頃は、すごく肥料を入れていましたが、それでもいいものができていたんです。でも、10年くらいたってから、おかしくなってきました。レタスは小玉で黄色に。あんなレタスには二度とお目にかかりたくない」
いよいよ打つ手がなくなり「これは、なんとかしなければ」と追い詰められた時、父の勲さんの古くからの知り合いで、塩尻市でレタスを栽培しながら、農業資材を販売し、その使い方と栽培技術の指導に当たっている川上徳治さんに相談するようになります。
塩尻から東へ80㎞。車を飛ばしてやってきた川上さん。畑を見るなり「葉の色が濃すぎる」と指摘。それは、土中に窒素分が大量に存在することを物語っていました。
「こんなことしてたら、畑を壊すよ」
川上さんは、とにかく肥料を今までの半分に。
段階的に3分の1から5分の1に減らすように、アドバイスしました。
指導に従って、とにかく肥料をそれまでの半分に減らしましたが、なかなか結果は現れません。それでも川上さんは、
川上さん「今から行くけど、いいかい?」
黒岩さん「お願いします」
折あるごとに必ず様子を見に来て、指導に当たってくれました。
苗の水やりは1日1回
もうひとつ黒岩さんが驚いた、川上さんの指導があります。
川上さん「苗に水をやるのは1日1回。どんなに暑くても1回だよ」
黒岩さん「ええーっ!それじゃ枯れてしまう」
それまで黒岩家では、1日に何度も潅水するのが当たり前。それでも枯れてしまうことがありました。ところが川上さんは、野辺山よりも5~6℃気温の高い塩尻で、1日1度の潅水で見事に苗を育てていると知り、このやり方に従うことにしました。
川上さん「元々レタスの原産地は乾燥地帯だから、枯れない程度に水をやればいい。レタスの性質を知らないと、水をやりすぎて根腐れを起こしてしまう。苗が大きくなっても1日1回。人間の子どもと同じで、小さいうちからそういうクセをつけるんだ」
黒岩さんは、さらに育苗培土の作り方も大きく変えました。窒素分の少ない培土に、バクタモンBMK®をはじめ、他の微生物資材、有機態リン酸やカリ、ゼオライト等、7種の資材をブレンド。そして、適度な水分を与えると……
黒岩さん「ぶわーっと菌糸が生えて、真っ白になります」
川上さん「微生物は、ものすごい勢いで世代交代するので、その死骸がいい肥料になる。それが植物の根張りをよくしたり、繊維をやわらかくしたり……おいしい野菜づくりにつながっていく。ただ肥料を減らすのではなく、それなりの資材を入れなければダメです」
そんな川上さんの教えに従って苗作りを始めたところ、白菜、レタス、キャベツ……苗の様子がみるみる変わっていきました。10×20=200穴のセルトレイに培土を入れ、そこに種子を蒔いていきます。苗が出て発芽して、トレイから手で抜けるようになるまで、以前は25~30日かかっていました。ところが、
「今は10~12日で、スポッと気持ちよく抜けます」
地上部が生長する前に、セルの土をしっかり抱えた根っこが伸びるので、カイワレ2枚と本葉が1枚と半分あれば抜ける。地上部と地下茎の割合が逆転したのです。
苗の管理は、主に順子さんの仕事。朝一番にハウスの扉を開けた瞬間、「白菜の苗から、ものすごい”気”をもらいます。野菜にはすごい力ありますね。自分が生かされているのを感じます」。
地力を信じて、L玉を収穫
その後、雹害を克服した白菜は、順調に生育を続けました。あれほど葉が破れていたのがウソのよう。大きさが揃っていて、抜けている株もありません。
黒岩さん「圃場全体に均等に微生物が入っている証拠。化学肥料いっぱい入れていたら、ここまで回復できなかったでしょう」
さらに黒岩さんは、白菜がこの段階に生長するまで、畑に窒素肥料を入れません。白菜が本格的に養分を必要とするのはこれから。土壌に散布するのではなく、水に溶かして葉面散布します。
黒岩さん「2~3歳の幼児に大量に食事を与えても食べきれません。人間に例えれば、17~18歳ぐらい。この時期に尿素やカリを水に混ぜて散布すると、グンと大きくなります」。
この時、土壌バランスの指標として、川上さんが最も重視しているのは葉の色です。
川上さん「山の木の若葉が芽吹いた時の色。この色の時が、植物が一番窒素を必要とする時期。空気中や散布した肥料から、どんどん吸収していきます」
この年の白菜は、収穫が例年より10日ほど遅れたものの、見事に結球し、出荷することができました。しかも、いずれも3㎏以上の大玉でした。
川上さん「植物には、本来ここまで回復する生命力がある。しかし、誰もそれを信じられずに、ボロボロの苗を植え替えようとします。そこを我慢して信じ続けることは、これから宝になる体験だ」
黒岩さんが川上さんの教えを受けて、20年近く取り組み続けた土づくり。その地力を信じたことが、すばらしい成果をもたらしたのです。
”胃袋”の大きな土は、宝
そんな黒岩さんの畑の土を土壌分析してみると…
黒岩さん 理想値
硝酸態窒素 1.5mg/100g 20~50mg/100g
アンモニア態窒素 2.5mg/100g 10~25mg/100g
塩基置換容量(CEC) 48.4 15
土壌分析:日本土壌協会
窒素分は理想とされる数値の10~20分の1しかありません。それでも「土の胃袋」と呼ばれる塩基置換容量(CEC)は、通常の2~3倍の値を示しています。
「胃袋が大きいと、少量でも肥料を入れると土がずっと抱え込んでくれるので、雨が降っても流亡しません。逆にCECが小さいと肥料が一気に抜けてします。CECの高い土は、私には宝なのです」
そんな黒岩さんの白菜は、地際でカットした時、株尻が平らで毛根の量が多いのが特徴です。
「長期にわたってバクタモンBMK®等の微生物資材を投入して、窒素が理想値の10~20分の1しか入っていない状態でも、養分を求めて根っこがどんどん生えてきます。根っこの量を比べれば、畑の地力がすぐわかる。毛根の量に違いが出るわけです」
かつて、圃場に大量の化学肥料を投入していた黒岩さんが、川上さんの指導を受けるうち、施肥量を減らし、微生物資材を活用することで、安定的にL玉を収穫できるようになりました。しかも、その白菜は「甘味がある」「食味がいい」「シャキシャキとした食感もすばらしい」と、東京の人形町の親子丼の名店「玉ひで」をはじめ、多くのユーザーから高い評価を得ています。
黒岩夫妻が育てたキャベツと白菜の成分を調査したところ、食味をあげるのが難しいといわれる結球野菜で「4」をマーク。糖度、ビタミンC、抗酸化力が共に高く、バランスのよい作物であることがわかりました。
減らす勇気、信じる力
ある時、川上さんに「尿素を散布した方がいい」と言われた黒岩さんは、粒状の尿素を畝間に真っ白になるほど追肥として散布しました。
それを見た川上さんは「なんてことを!」と激怒。尿素は、水に溶かして散布せよと指示したのです。
黒岩さん「当時は、周りの農家でもそれが当たり前でした。尿素は地面に撒くと、苦味や硝酸態窒素の元になるけど、水に溶かして与えれば残らない。当時は、それすらもわからなかった」
川上さん「窒素はなくては困るけど、多ければ害になる。土に撒けば10aあたり10~20㎏必要だけど、葉面散布なら2~3㎏で十分効果がある」そんなやりとりを繰り返し、土のチカラを取り戻してきたお二人。けれど、それは単に化学肥料を減らして、微生物資材を挿入すればよいわけではなく、川上さんの指導を受けながら「三歩進んで二歩下がる」状態を繰り返し。「土の力」を信じて取り組み続けたことで、ようやく勝ち得た成果なのです。
なかなか成果が現れず、迷いが生じた時も、川上さんは必ず80㎞離れた塩尻から「今日は都合悪いけど、2~3日のうちに行くから」と、黒岩さんの畑を見に来てくれました。
自身もレタス農家である川上さんは、1996年に起きたO-157による食中毒事件を機に、土と野菜、人の健康について独学で勉強を開始。知り合いのお医者様が先生でした。この時から、土と人の体は繋がっていて「人の体にいい野菜を作ることは、畑作りにつながる」と確信。そのカギを握っているのは微生物だとの考えから、バクタモン®に着目。生産者仲間に広めてきました。
さらに仲間たちと出荷組合㈱あおぞらを結成。「健康に貢献できる農産物を生み出す食医」を目指し、食味と安全性にこだわる関西のいかりスーパーに出荷するなど、その野菜も高い評価を得ています。
人の命を脅かすさまざまな疾病や、政界に猛威を振るっている新型コロナウイルスなど、あらゆる病気と立ち向かうのは、人間の免疫力。その源である抗酸化物質を生み出すのは農産物。だから「有機的なおいしいものを作らなければ、人間の体を維持できない」と考え、土と人の健康を同時に維持する農業を伝えるようになりました。
その中で、黒岩さんを訪ね「親になったつもりで」ずっと指導を続けています。
1964年、黒岩家の畑を皇太子殿下(現・上皇殿下)がご訪問されました。84年と05年には、ご家族と一緒にご訪問され、畑で野菜を収穫されています。
三度目に行幸された際、畑を案内した黒岩さんは美智子妃殿下(現・上皇后)に、「これから化学肥料を減らして、安全な野菜を作ります」と誓いました。それ以来、粘り強く土づくりに取り組んできましたが、川上さんの指導の元、納得できる土ができるまで、実に20年の歳月がかかりました。
土と人が健康になる農業を――。
それは誰もが望む姿ですが、今の日本の土壌は、化学肥料と農薬とで飽和状態。健全な姿と取り戻すことが難しくなっています。黒岩さんのように、微生物の力を利用して地力を取り戻すには、思い切って施肥量を減らす勇気と時間。そして土と野菜を信じる力が必要なのです。
2020年3月5日 取材・文/三好かやの
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