長野県須坂市の越福雄さん(90歳)は、戦後間もなくリンゴの栽培を始めました。そのリンゴの味は「同じ品種でも他の農園とは違う。今年もまた越さんのリンゴがほしい」と、毎年注文を寄せるリピーターも多数。その味と品質の良さは、リンゴの生命力の強さを物語っています。
樹齢70歳の古木にリンゴがすずなり
11月初旬。長野県北部の須坂市。越福雄さん(90歳)のリンゴ園を訪ねました。幹の太い樹に、真っ赤なリンゴがすずなりに実っています。
「中生種の≪陽光≫。群馬県生まれの品種です」
ところが今、こうして果実を実らせている樹は、元々≪陽光≫ではありませんでした。
「この樹を植えたのは、昭和21(1946)年。当時は別の古い品種でした。そこへ40年ほど前に≪陽光≫の穂を接いだものです」
そう話す越さんの目の前で、しっかりと大地に根を張っている樹は、人間でいえば70歳以上。そこに新品種として群馬からもたされた≪陽光≫の穂木は40年、ここでこうして生き続け、立派な実をつけているのです。
「古い枝から徒長枝(とちょうし)という細く新しい枝が出てくるので、そこへ穂を接ぎます。私は古木への≪高接ぎ≫で、新しい品種に更新させてきました」
リンゴは野菜と違い、種子ではなく、苗木や接木で子孫を増やす方法が一般的です。優れた品種の枝の先端を切って≪穂木(ほぎ)≫を取り、これを台木につないで育てた苗木を植えたり、元々果樹園に植えられているリンゴの樹の枝に、穂木をつなぐ「高接ぎ法」で、新しい樹や品種を増やしていくのです。
わい化の波に乗らず、味優先の栽培を
越さんのリンゴ園を見渡すと、樹齢50年以上、大人が両腕で抱えても手が届かないほど幹の太い、大きな古木が多いことがわかります。一方、周囲の別の畑を見渡せば、背が低く、幹の細い小型の樹がたくさん並んでいます。これは「わい化」と呼ばれるリンゴの仕立て方。かつて主流だった、太く大きく樹を育てる「開心系」とは異なり、背が低く、小さな樹にたくさん実をつけるやり方です。
リンゴは元来、大きな樹木になる植物ですが、管理や収穫が大変で、農家は「もっとこじんまりした樹がほしい」と願っていました。そこへ、わい化に適した台木が導入され、昭和40年代半ば頃から、岩手県や長野県を中心に広まりました。雪が多く、細い枝が折れやすい青森県よりも、積雪の少ない長野県は、わい化栽培に適していたのです。
わい化の樹は小さいので、何度もハシゴや脚立で昇り降りする必要がない、女性や高齢者の作業がしやすい、それまでの樹よりも早く実をつける。新品種への切り替えが早い等、いろいろメリットがあるので、長野県では多くの農家がこれを取り入れています。
ところが越さんの園にあるのは、樹齢50年以上の太く大きい樹が中心です。わい化栽培が広がる中、越さんがずっと古木を大切にしてきたのはなぜでしょう?
「古木は、若木のように勢いがなくて、樹が落ち着いているから、味のいいリンゴがなる。俺はわい化はやらないんだ」と笑って話す越さん。
リンゴを作って70年余りのベテランには、そんなこだわりがあるのです。
戦中・戦後に植えた樹が、今なお現役
越さんは昭和3(1928)年生まれ。齢90歳を超えた現在も、実に矍鑠(かくしゃく)とされていて、元気にリンゴづくりを続けておられます。10代の頃、日本は戦争真っ只中で、自ら志願して海軍へ。戦地には行きませんでしたが、軍隊に配属された経験もあります。
戦時中、家の周囲の畑には桑の木が植えられていて、嗜好品の果樹の樹を植えることは禁じられていました。それでも越さんのお父さんは、「養蚕はいずれ廃れる。いつか役に立つ日がくるから」と、時代を先読みして、桑の木の間に紛れるように、リンゴや柿の苗木を植えたそうです。
「あれは昭和17年。オレが14歳の時に親父が植えた柿の木だよ」と指差す先に、大きな柿の木。
今もなお、枝にあふれるほどにたくさんの果実を実らせています。
越さんが軍隊から帰ってくると、家の畑にはリンゴの樹が植えられていました。しかし、当時のお父さんにはリンゴの栽培方法がよくわかりませんでした。
「福雄、たんとなるようにやってくれ」
当時、越さんの住む高甫村(後に須坂市に合併)は、とても貧しく「日本一の貧乏村」と呼ぶ人もあったほど。戦後の食糧難も重なり、養蚕に変わる収益性の作物を求めて、タバコや酪農など新しい農業に取り組む人が増えていました。そのひとつにリンゴがあったのです。
福雄さんは、試行錯誤を重ね、リンゴの様子を見ながら、自然に栽培技術を身につけていきました。後に「わい化栽培」の波が起きた時も、
「まわりの意見は聞かなかった。全部自己流だな(笑)」
こうして、越さんの畑では戦中・戦後にお父さんが植えたリンゴの樹が、今も活躍しています。中には、幹に大きな「ウロ」がでてきている古木も。それでもちゃんと根は生きているので、横から出てきた新しい枝を生かして栽培を続ける。それが越さんのやり方です。
中には腐らん病に罹ってリンゴができなくなった≪ふじ≫の樹がありました。
そんな時は、「病気の枝を落とす。すると反対側に新しい徒長枝が伸びるから、柳のように細く、やらわかい枝を選んで、上手に誘引するんだ」
父から譲り受けた古木が今もなお、大地に根を張り、おいしいリンゴを実らせています。
50年間 除草剤不使用+不耕起のリンゴ園
そんな越さんのリンゴ園を歩いていると、足元はふかふか。
11月も緑の草が生い茂っていて、靴底から心地よい感触が伝わってきます。
「この50年、除草剤は1回も使っていないんだ」
越さんは乗用の草刈機に乗ってリンゴ園をぐるぐる走り回り、刈った草をそのまま園に敷き込みます。これを月2回のペースで行っているので、土の上にどんどん草が積み重なって、腐葉土の層が何重にも積み重なっています。これがリンゴの根に適度な湿気と空気を与え、丈夫な樹を育てるのです。
「そういえば、もう50年、土をおこしていないなあ」
つまり、刈った草をその下の土に鋤き込むことはなく、土の上に乗せるだけ。リンゴの収穫を終えた年末から年明けにかけ、自ら栽培した稲ワラを、その上に被せていきます。
最近はコンバインでワラを粉砕する農家がほとんどですが、越さんは、ずっと稲ワラを長いまま残すバインダー派。刈りとった稲をはさ架けし、天日で乾燥させます。脱穀したワラをリンゴ園に敷くと、のちにケイ酸の補給にもつながるといいます。
「上からバクタモン®を撒いておけば、秋頃にはワラの姿は消えてなくなっているんだ」
草やワラを微生物たちが分解し、リンゴの根が吸収しやすい形に変えていくのです。
越さんは、バクタモン®を土壌に施用するだけでなく、バクタモンと尿素で葉面散布用の水溶液(※1)を作り、活用しています。
「まず、芽吹きの時期。葉っぱが出る前に開花を促すために、年に5~6回はやっている」
50年にわたり、草を刈り敷いたふかふかの園内を歩いていると、どきどき「もこっ、もこっ」と土が盛り上がった場所に出くわします。まるで中から誰かが掘りあげたよう。地中にモグラがいるのです。
「モグラはネズミほど悪さをしないから、特に対策はしていない。モグラがいるということは、それだけ有機質がある印だからね」と越さん。
長年除草剤は使っていませんが、病害虫を防ぐために消毒は行っています。それも半分以下の濃度で、散布は必要最低限の回数にとどめ、できるだけモグラや小動物、微生物とも共生しながら、おいしいリンゴを作り続けています。
収穫前のバクタモン®単用の水溶液散布で食味がUP!
バクタモン®との出会いは、今から40年ほど前。当時、農協出荷がメインだった越さんは、天候による味の波に悩んでいました。
「8月に雨が降ると、味が落ちる。お天気だと味がいい。そんな農業じゃダメだ。雨が降ろうが降るまいが、味のいいリンゴを継続的に出荷したい」
そう考えていた矢先、出荷先の関西の市場関係者を通じて、バクタモン®の存在を知りました。時は9月半ば。そろそろ早生品種の収穫が始まる前でしたが、その人の説明によると、「今、園に散布すれば、11月の≪ふじ≫の収穫に間に合う」というのです。半信半疑でバクタモン®を取り寄せて施し、いよいよ収穫を迎えることになりました。
「近所のいろんな園地を回って、リンゴの糖度を測ってみたら、うちの園だけ糖度が2度高いんだ。1年目で結果がでた!これはすごい!おもしろい!」
以来、ずっとバクタモン®を愛用しています。
長年栽培を続ける中で、他の肥料や資材もいろいろ試してきた越さんですが、40年以上使い続けているのは、バクタモン®だけです。
「微生物資材は他にもいろいろあるけれど、自分で培養しないといけないとか、使い方がややこしい。その点バクタモン®は、手や散布機で土や葉面に撒くだけだから、使いやすい」
それもまた、長年使い続けている理由なのです。
越さんは、今でも毎年10月初旬に、その年最後のバクタモン®を散布しています。
そして、収穫前にバクタモン®単用の水溶液(※2)を葉面散布して、食味を上げているのです。
「土中の窒素が果実にいかないように、バクタモン®がキープして、えぐ味が出るのを抑えてくれる。隔年結果を抑えたり、根に余分な水分を吸い上げない効果もあるみたいだ」
糖度18度。硬く日持ちするリンゴを
そんな越さんが作るリンゴは、果肉が緻密でずっしり重いのが特徴です。
さらに「≪ふじ≫なら最低糖度18度、うまくいけば20度になる」というからオドロキです。
こうして育てた≪陽光≫≪ふじ≫≪シナノゴールド≫≪シナノスイート≫、そして、ふじと紅玉を交配させた新品種≪秋ひかり≫を、ほぼ全量お客様へ直売で販売しています。
年内に収穫を終えると、リンゴをコンテナに入れ、冷蔵庫を使わず、そのまま倉庫で貯蔵して、翌年3月末から4月上旬まで出荷し続けます。冷蔵庫を使わずに日持ちして、しかもおいしく味わうためには「緻密で硬いリンゴ」を作ることが肝心。
古木に穂木を接ぎ、地面に草やワラを敷き重ねて、ふかふかにした土の中に、微生物、小動物、モグラが棲む……そんな環境が、丈夫で長持ち。そんなリンゴを生み出しています。
昭和40~50年代、越さんは地元の農協の出荷場のリーダーを歴任。熊本や山口、神戸や明石など、西日本を中心に、市場や生協、消費者団体を訪れ、須坂市のリンゴの魅力を伝え続けてきました。
ところが、20年前、奥さんが病気で他界。農水省に勤務していた息子さんが家に戻り、ともに栽培に従事することになった頃から、直売中心になっていきました。
リンゴのシーズンが終わったら、相手がグループでも個人でも、お客様の元へ足を運んで直接感想を聞くのが、越さんの営業スタイル。かつては九州や山陰地方まで、足を伸ばしていました。
「あるお客さんから『うちの孫が、越さんのリンゴの中毒になっちゃった。よそのリンゴは食べない』と、嬉しい評価をいただきました。子どもの舌は敏感だからね。安心、安全で皮ごと丸かじりして食べてもらいたい。そんな思いです」と、目を細める越さん。
販売先には幼稚園も多く、家に帰って「おいしかった」「もっと食べたい」と話す園児の保護者から、注文が舞い込むことも少なくありません。1カ所に15~20人の顧客がいて、まとまった量を伝票一枚で届け、届いた先で顧客がリンゴをシェアする。それが越さんのやり方です。
「農家は本当に流通を勉強しなければ…」
ずっと多くの人に支持され続けているのは、美味しくて、日持ちがいいこと。そして、約30年かけて築き上げてきた、顧客との信頼関係があるからなのです。
「昔も今も、消費者がついてきてくれる経営を目指してきました。食べる人が待っていると思えば、ちっとも苦ではない。100年生きる樹を生かせば、おいしいリンゴができる。今じゃ、誰もこんなやり方教えていないけどね」
リンゴを作り続けて70余年、今もなお現役の越さん。
90歳になっても、樹と向き合うその表情は、いつも晴れやかです。
2017年11月8日 取材・文/三好かやの
【葉面散布用水溶液の作り方】
※1 バクタモン250倍+尿素500倍の水溶液
◎目的◎
果樹において萌芽期・開花前の散布は、花芽分化及び結実の促進と、植物生理の活性化を呼び起こす作用をすると同時に、細胞分裂を盛んにさせます。
◎作り方◎
水500ℓに対してバクタモン2kg、尿素1kgの割合でよく撹拌し、48時間冷暗所で寝かしたものを濾して、その上澄み液を散布します。
(20ℓほどのバケツで濃縮液を作り、上澄み液を500ℓの水に希釈すれば、簡単に作れます)
◎ご使用量◎
目安:果樹の場合200~300ℓ/10a、その他の場合500~100ℓ/10a
※2 バクタモン250倍単用液
◎目的◎
養分の浸透をはかり、糖度の上昇と果実の締りを良くすると同時に、収穫後の日持ちを良くします。窒素過剰などで一時的に窒素を抑制する場合や、病気などの予防、花ぶるいの予防などとしてもお使いいただけます。
■水溶液は、完成後1週間以内に使い切ってください。
■薬剤と併用する場合は、散布直前に混合してください。
水溶液の作り方やご使用量など、お気軽にお問合せください。
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