葉を充分茂らせて、健康体の果実を作る
6月25日、さくらんぼの収穫期を迎えた、山形県上山市を訪れました。
「今年は例年より1週間早いですね。うちの佐藤錦は、明後日で終了です」と話す(有)須田フルーツの須田憲一さん(71歳)に、農園を案内していただきました。
収穫も終盤を迎えたハウスには、佐藤錦と紅秀峰が実っています。パンパンに実が張っていて、果皮は輝くように照り映えて、まるで真っ赤な宝石のよう。
「おいしいのは、肩が張っていて、軸が実に沈んでいる果実。まあ、食べてみてください」
口の中でパンパンに張り詰めた果実が割れて、果汁が浸み出し、甘酸っぱい香りでいっぱいに。
糖度は20度以上あり、中には500円玉大のものもあります。
これだけ大きく甘い果実を流通させようとすると、果実の『うるみ』は心配。山形弁で、熟しすぎてやわらかくなってしまうことを意味しています。
「果実の骨格をしっかりさせるため、カルシウム剤を土壌に散布するだけでなく、樹の上からも葉面散布している。ものすごく手をかけているので、うるみが遅いのだと思います。」
さくらんぼの産地では『葉摘み』の作業がかかせません。
それは枝から葉を落とすことで、果実に日を当てて全体に真っ赤にする技。ところが須田さんの樹は、収穫直前まで葉を茂らせています。
「うちで葉摘みはご法度です」
大切なのは、見た目よりも味。葉には光合成を行って、樹を果実に栄養を送り込む大事な役目があるので、決して落としません。そのため、色が回らない果実は、人の目で選別し『二番手』として出荷しています。
目を凝らしてよく見ると、今年の実をつけた先の新しい枝に、小さな芽が出ています。
「これが来年の花芽。今から充実させておかなければ。今年、お金を儲けるには、葉っぱを取る方がいいかもしれない。だけど来年のことを考えたら、やはり取りたくないんです。」
見た目より、ずっしり重い果実ができる
そんな須田さんが、初めてバクタモン®に出会ったのは24年前のこと。仙台の仲卸業者が持参した、マスクメロンを手にした瞬間、
「おっ、重い」
普通サイズのメロンなのに、手に感じる重量が、見た目よりずっしり重かったのです。
「このメロン、なんでこんなに重いんだろう?」
「微生物資材のバクタモン®を使っているんですよ」
メロンも須田さんが栽培しているラ・フランスも、『追熟作物』で、収穫後一定時間をおくことで、甘味が増すのは一緒。
須田さんは、直感的に「これはラ・フランスにも使える」と思いました。早速、バクタモン®を取り寄せ、畑10aあたり20kg撒いてみました。
4ヶ月が過ぎて……。
その年の10月。ラ・フランスの収穫を迎えました。
「やっぱり。果肉が緻密になって、見た目よりずっと重い。いただいたメロンと同じだ」。
初めて撒いたその年に、バクタモン®の効果は如実に現れたのです。
そんな須田さんが栽培するラ・フランスは、2008年、『糖度14度以上』。山形県の農家の中でも卓越した栽培技術を持つ生産者に与えられる『山形セレクション』に選ばれました。
養蚕、酪農から果樹栽培へ
須田さんが、地元の農業高校を卒業したのは、1965(昭和40)年。前回の東京オリンピックの翌年でした。当時は養蚕、酪農、稲作を手がけていましたが、その後上山市周辺の農家が果樹栽培へと、大きくシフトしていく中で、須田さんが最初に手がけたのは、ぶどうのデラウエアでした。
「昭和43年頃に、山を開墾して植え始めました。最初は順調だったんですが、52年に暴落してしまって…」
続いて登場したのは、さくらんぼ。須田さんのお父さんが、桑の木の間に、ナポレオンの苗木を植え、徐々に改植を進めていきました。
最初に作ったナポレオンは、缶詰の加工用。それでもキロ1,000円の高値で取引されました。続いて新植したのは、佐藤錦。山形県東根市の佐藤栄助氏が『黄玉』とナポレオンを交配して生み出した品種で、その後全国のさくらんぼの主力品種になっていきます。そして大玉の『紅秀峰』も登場。さくらんぼと、洋梨のオーロラ、ラ・フランス。現在は合わせて2haで栽培しています。
自分で値段をつけて、自分で売ろう
須田さんは20代の頃、あまり農業に希望が持てず、「チャンスがあれば、別の仕事に就きたい」と考えていました。周囲には、外へ働きに出る農家の子弟もいましたが、「親の方針で、うちは絶対ダメだったんです」
それでも冬場の農閑期になると、蔵王のスキー場へ。ホテルマンとして働いていました。
「昭和40年代の蔵王は、スキーブームでした。ホテルでは、板前の仕事以外は、フロントから布団敷きまで、何でもやりましたね」
中でも一番キャリアが長いのは、バーデンダー。カウンターを介してお客さんと会話しながら、その人の好みに合ったお酒やカクテルを作る仕事が好きだったそうです。
24歳で貞恵さんと結婚。2人の子どもに恵まれ、それまで「なんとか農業から逃げよう」としていた憲一さんも、30歳を過ぎた頃から、父の背中を見るうちに、「そろそろ本腰を入れて、栽培に組まなければ」と考えるようになります。
けれど、せっかく作った作物が、生産コストを割るほど安値で取引されたり、時によっては暴落してしまう価格のあり方に、なんとも我慢がなりませんでした。
「市場価格が3,000円なら、私は5,000円いただきますと、自信をもって言える農業がやりたい。やるからには、自分で値段をつけて、自分でお客さんを探して売ろう!」
そう決めたのです。
『市場ではない何か』を求めて…
須田さんが本気で栽培と販売に取り組み始めた40年前、流通面でも大きな革命が起きました。宅配便の登場により、農家から直接個人宅へ農産物を送ることが可能になったのです。キャベツや大根のような重量作物や、普段使いの葉物は割高になりますが、単価が高く、贈答品としてのニーズが高いフルーツなら、採算がとれます。
ただし、それには食べる人に「スーパーや他の産地よりおいしい」「あの人の果物が、もう一度食べたい」と思わせるだけの味を出さなければなりません。
個人宅配には、顧客管理が欠かせません。
ホテルマンの経験を持つ須田さんは、いち早くコンピューターで顧客管理して、伝票に打ち込もうと考えました。まだ専用ソフトもなかった時代、地元の家電メーカーのプログラマーと、独自にソフトを開発しました。当時個人用のコンピューターは、1台100万円。それでも貞恵さんは、「これも農機具のひとつ」と、出費を惜しまず取り組みました。
「当時は、みんな『市場ではない何か』を探していました。だけど、量販店や高級青果店と取引するには、それなりに量が必要で、一緒に出荷できる仲間が必要なんです」
『市場ではない何か』を模索していた92年。車で1時間30分ほどの仙台市泉区に、新しい量販店ができることを知りました。須田さんは、仲間の佐藤俊夫さんと「新店舗で我々のラ・フランスを扱ってもらおう」と、売り込みに出かけました。
紹介だけでは取引は成立しません。それぞれ糖度を計り、食味を確かめ、担当者が比較検討した結果、須田さんたちのラ・フランスが選ばれたのです。2人は心の中で「やったー!」とガッツポーズ。しかし、そこには大きな課題がありました。
「私たち2人分では、量販店さんが求める量には、ぜんぜん足りませんでした」
せっかく味と品質が認められたのに…。須田さんと佐藤さんは、帰りの車の中で「どうしよう」と頭を抱えていました。
微生物を軸に『草生栽培』を実現
こうして上山に帰った2人は、ともに出荷できる農家を探します。当時まだ40代。地元で『若手』と目されていた2人に力を貸してくれたのは、60~70代のベテラン農家の人たちでした。こうして「須田グループ」が誕生したのです。
グループとして出荷するには、味や品質のバラツキは禁物です。個々の栽培方法を活かしながら、共通の肥料や農業資材を使って、高価格で販売できる果樹を作ろう。こうして編み出されたのが「須田・佐藤式総合管理農法」でした。
その基本となるのは、『環境保全型微生物農法』。
当時はバクタモン®を使っていましたが、2~3年前から新たに開発された、比重の軽いコーヒータイプのバクタモンBMK®を、園地の表面に30㍑/10a施肥するようになりました。またせっかく投入した微生物を絶やさぬために、除草剤は一切使用しません。
「その代わり、乗用の草刈機で年に6回は刈ります。樹の周りは手刈りしています」
刈った草はそのまま園地に敷きおいて、微生物のエサになり分解されていきます。こうして土に戻して、再び樹の栄養分として循環させる『草生栽培』を実現させているのです。
そんな微生物の活動を軸として、須田グループの栽培は、以下のように続きます。
早春/冬の休眠から目覚めた樹が、新根を出す季節。三要素(窒素・リン酸・カリ)に良質な骨粉、カニ殻、魚粕を加えた有機質肥料で、健康な果実と食味の向上に。卵の殻を原料としたカルシウム補強材で、新根の発根を促します。
春/果実の花が咲く時期には、葉緑素を作る微量要素複合肥料
『デカエース1号』を、消毒剤に混ぜ葉面散布で与えています。主成分は、そばなどに多く含まれ、血圧の安定剤としても活用される『ルチン』。
「光合成を促進する作用があって、もう20年以上使っています。これを使っている農家のさくらんぼは、表面がきらっと光る。ひと目でわかります」。
梅雨/6~7月は梅雨の季節。盆地の上山は高温多湿となり、病害虫が発生する時期でもあります。ここで必要となるのが、薬剤の付着率を高める『展着剤』。単独で薬剤だけを散布すると雨で流れ落ちてしまいますが、展着剤として混ぜて散布することで、葉の表面へしっかり付着して効果を高めます。化学合成されたものが多いのですが、須田さんが選んだのは、食品としても使用される『桂皮(ニッキ)』から抽出された、天然パラフィンが主成分。
ニッキには抗菌作用もあるので、低農薬栽培にも貢献しています。
夏/昼間は暑く、夜は涼しい上山の夏は日格差が大きく、食味の高い果実を生み出します。『リフレッシュ』という桂酸白土を主成分とする葉面保護剤を使用して、太陽光線より葉の表面にあるクチクラ層を保護します。
秋/いよいよ収穫を迎える季節。天然カルシウムを原料とする『液体カルシウム』を使用。春に与えたカルシウムに加え、ひとつひとつの細胞組織の充実を促します。
ある時、仲間が農協にラ・フランスを出荷したところ、「こんなに小さくて2Lではないのでは?」と言われました。そこで実際に重さを測ってみると、ちゃんと2Lサイズの300g前後あったそうです。
「見た目より重い」。
それもまたバクタモン®栽培の特徴でもあります。
須田さんが、バクタモン®を20年以上使い続けて感じているのは「地温を上げる効果」。北国で栽培を続ける中で、凍霜害が少なくなることも、長年使い続ける理由のひとつです。
ラ・フランスそのものが営業マン
そんな独自の農法を駆使して栽培を続けていますが、追熟作物のラ・フランスは、早すぎると実が硬く、多すぎると柔らかすぎたり、褐変したり。『食べどき』の見極めが難しい農産物でもあります。
1~2℃の冷蔵庫に貯蔵した梨を出庫して、15~18℃に置き、2週間から食べ始めるのがオススメ。そこで、発送する際に、食べ頃の日付を表示して送るようにしています。
「原価をかけて、せっかく作ったものだから、タイミングを逃さず、一番いい時に召し上がっていただきたい。うちは、ラ・フランスそのものが営業マン。贈り先の方が『また食べたい』と、来年から直接注文をくださるのです」。
須田さんと共に、栽培技術と販売先を開拓してきた佐藤俊夫さんは、残念なことに8年前に他界されました。それでも娘の好子さんが跡を継ぎ、栽培を続行中。9軒の農家にはそれぞれ若手の跡取りがいて、新しい栽培を展開しています。その中で中心的役割を担ってきた須田さんも70歳を超えて、規模縮小を図りながら『次』を考える時期にさしかかっています。
「娘は須田グループの事務局の仕事を引き継いでくれています。うちの長男は、今タイで働いていますが『自由にやれ』と伝えています。私たち夫婦も、体が動くうちは頑張りたい」
グループの中には、桃やシャインマスカットなど、新たな作物に挑戦する人も。時代の流れに沿って、少しずつ状況は変わっていきそうですが、須田さんと佐藤さんが築いた、バクタモン®を軸に、微生物のはたらきを生かした農法は、グループの中に脈々と受け継がれていきます。
●山形セレクション http://www.nmai.org/y_selection/
2017年10月・2018年6月 取材・文/三好かやの
|