半分すずなりのふしぎなミカン
10月末のよく晴れた日、三重県熊野市でミカンを栽培している㈱MAKOTO農園を訪ねました。ちょうど温州ミカンの極早生から早生の品種が収穫を迎える時期。たわわに実ったミカンが陽の光を浴びて、園地全体を明るく照らしています。
果皮がパンと張って、色つやもよく、美味しそう。でもその樹に近寄ってみると、なぜかふしぎな姿をしているのです。
「あれ。樹の半分はすずなりに実がなっているけど、反対側の半分には葉っぱしか付いていない。どうしてこんな姿をしているのですか?」
と尋ねると、社長の大西 誠さん(83歳)は、
「半分休ませとるけど、半分はすずなりになっとるじゃろ。個数は普通の樹より多いと思います」と教えてくれました。
「ミカンの隔年結果をなくすために、今年は樹の半分に実をつけて、来年は休ませる。来年は反対側に実をつけて、今年収穫した分は休ませる。これを『半樹摘果』といいます」
隔年結果とは、果樹が豊作と不作を毎年交互に繰り返す現象で、豊作の表年と不作の裏年が、産地でも日本全体でも同時に起きるため、表年は採れすぎて価格が暴落。裏年は収量が少なくて売り上げが伸びないので、農家の経営を圧迫する原因になっています。大西さんは、表裏の差を減らして、なんとかその弊害を解消しようと、試行錯誤を続けてきました。
「ミカンというのは、樹全体に実をならしたら、来年は『休みます』っていう。人間なら昨日しんどくても、今日も働こうと思うけど、ミカンはパタッと休む。そして次の年にいっぱいなる。そらもう正直なもんです」
大西さんが生まれた昭和10年代、熊野市では養蚕がさかんに行われていました。20年代になると、その衰退とともに夏ミカンの栽培がさかんになり、30年代には温州ミカンが一気に広がりました。温州ミカンに可能性を感じて就農を決意した大西さんでしたが、隔年結果に悩まされ、樹を前にして「これが毎年同じ数だけ実をつけたら、経営は楽になるのに…」と悩む日々でした。
隔年結果を防ぐには、圃場を左右に分けて半分休ませて、半分実をつける。そんな方法もあります。けれど、樹全体にめいっぱい実をならしてしまうと、樹が弱ってしまうのです。
大西さんがミカンの樹を観察すると、今年出た新芽には翌年果実が実り、果実がなった枝には翌年新芽が出ることがわかりました。最初は独自に剪定法の研究から初めて、ひとつの技術が有効かどうか検証するのに4~5年かかりました。さまざまな方法を試した結果、
「ようし、思い切って1本の樹を半分に分けて、交互に実をつけさせてみよう」
そんな結果に至ったのです。
思い切って片側半分の花を落としたのは、ミカンの栽培を始めて40年経過した平成10(1998)年頃のこと。これを育ててみると、ミカンは大西さんの期待に見事に応え、毎年半分ずつMサイズを中心に、高品質のミカンが収穫できるようになりました。その果実は味もよく、なんと通常栽培と同じ数だけ実ったのです。
ミカン作りは、マルチ栽培だ!
そんな大西さんのミカン畑が明るいのには、もうひとつ訳があります。それは株元に白いシートマルチが敷かれているから。通常果樹園のマルチといえば、日光を反射させ、果実のお尻までまんべんなく光を当てて、味と色味を充実させるのが目的ですが、㈱MAKOTO農園の場合は白シートマルチが隙間なくぎっしり敷き詰められていて、雨が降っても土壌に沁み込む余地がないほど。圃場を全面的に被覆して、水分を絞ってミカンの樹にストレスをかけて、糖度を上げる栽培方法です。
熊野市は気候が温暖で、ミカン栽培に適していますが、年間降水量が3,500㎜。日本全体の平均の2倍の雨が降ります。地面に浸透した水をミカンが吸い上げると、どうしても味に影響が出てしまうのです。
「この前も1日で400㎜降りました。そのままでは、水っぽくて味がのりません。大量に降ると酸も抜けてしまう」
肥料の配合や葉面散布を施して、なんとか味のよいミカンを作ろうと奮闘していた大西さん。2000年、10aだけ畑をマルチで覆ってみました。
「そしたら、すごくおいしいミカンができた。いろんな肥料をやったけど、台風が来て一度に200、300㎜の雨が降ると、肥料が流亡してミカンの酸が抜けてしまうんです。ミカン作りはこれだ!マルチだ!もう目の前の霧がパーッと晴れました」
そう確信した大西さんは、一気に2ha、全面にマルチを敷き詰めました。
とはいえ、広い露地畑にマルチを敷き詰めるのは大変です。6~7月に敷き詰め、雨水を切って樹にストレスを与え、ギリギリの水分を与えるために、マルチの下にイスラエル製の潅水チューブを設置。30㎝間隔で小さな穴が開いています。幅2~3m×長さ35mのシートマルチを一人でもくるくる巻き取れるよう、直管パイプを入れて工夫を凝らしました。
「どんなに雨が降る年でも、うちは例年通りのミカンができる」
ストレスに堪えながら、ギリギリの水分と養液で栽培されるミカンたちは、すこぶる味がよいと評判に。お客さんがまた次のお客さんを呼んで、ほぼ全量近くを直売できるようになりました。
農園を台風が襲った時、常連のお客さんからお見舞いの電話がかかってきました。
お客さん「大丈夫ですか?」
大西さん「はい、私たちは無事です」
お客さん「いやいや、ミカンが心配で…」
「私らよりも、ミカンが心配だと。そんな電話が多かったです(苦笑)」
そんなミカンを、大西さんは選果機にかけません。
「選果機の上でゴロゴロ転がすと、確実にミカンの味が落ちます。だから、うちは無選別。SからLまで混ぜて販売しています」
サイズはバラバラでいいから、また食べたい。大西さんのミカンには、食べる人にそこまで思わせるだけの価値があるようです。
行き詰った大農場を立て直す
そんな大西さんがミカンの栽培を始めた頃、熊野市では県営開拓パイロット事業が始まり、昭和40(1965)年、作付面積100haの広大な農事組合法人「金山パイロットファーム」が設立されました。
当時から自立経営を目指していた大西さんは、パイロット事業には参加せず、昭和46(1971)年には4.5haまで規模を拡大。2年後には新たな園地を開墾して、いち早くスプリンクラーを導入。自動潅水や消毒を実現させていました。
「できるだけ楽してミカンを作りたい。3haを2時間半~3時間で薬剤散布します」
45年前にスプリンクラー、20年前に隔年結果を防ぐ半樹摘果、味を高める全面マルチ被覆栽培と、独自に研究を重ね、味のよいミカンをコンスタントに栽培。着々と売り上げを伸ばしていた大西さんに、平成16(2004)年ある話が舞い込みました。
「金山パイロットを立て直してほしい」。
それはまた、自園の栽培を手伝いながら、地域のために奮闘していた妻の三春さんが、市会議員として活躍していた時期でもありました。大西家としても、とても大変な時期だったのですが、誠さんは決断を下します。
「よし、うちの畑を捨ててでも立て直そう。できる自信はありました」
改めて農場全体の状況を見直すと、所属していた生産者はみな、隔年結果に喘いでいました。表の年はなりすぎて、全体的な豊作になるので価格が安い。さらに人件費が嵩むので、とればとれるほど赤字に。ところが、裏年は前年の半分~7割しか収穫できないのです。
「私は、ミカンの樹は1本1本が社員だと思いました。6万本全員を半分休ませますが、毎年収量を安定させれば、必ず儲かる」
大西さんは40haの畑で、徹底的に半樹摘果を敢行。マルチも10haに敷き詰めて、隔年結果のない高品質ミカン作りを目指しました。すると、その成果はみるみる現れ、赤字だった経営を年間4,500万円の利益が出るまで盛り返したのです。
大西さんは、新たに地元生産者と共同出資で「㈱夢工房くまの」を設立。アメリカ製の最新式のインライン式搾汁機を導入して商品化したマルチ栽培のジュースもまた、消費者から高評価を得るようになりました。
自ら築き上げた栽培技術で、大規模な農園を立て直した大西さん。その手腕と実績が評価され、平成21(2009)年「温州みかんの隔年結果防止及び省力的マルチ被覆方式」は、農林水産省が選出する「農業技術の匠」に選ばれています。
若木の生育を促すバクタモン®
5年ほど前、大西さんの目に、あるニュースが飛び込んできました。「包近(かねちか)のモモ、ギネスで糖度世界一に輝く」
それは大阪府岸和田市、マルヤファーム松本隆弘さんのモモでした。早速、現地を訪ねて栽培方法を学んだところ、モモの糖度を上げるにはバクタモン®がカギを握っていることがわかりました。
「松本さんは『バクタモン®は、毛細根の量を増やす』と言っていました。毛細根が多いほど、おいしいミカンができるのはたしかです。」
こうして大西さんは、10aあたり毎年春に2袋、6月に2袋、コーヒータイプのバクタモン®を施すようになりました。
成木が並ぶ大西さんのミカン畑の一角には、人の背丈ほどの幼木が並んでいます。こちらには、白いシートマルチはありません。幼木のうちは生長がメインで、マルチを敷くのはしっかり実をつけるようになってから。しかし、以前は幼木の生長が遅く、何度も植え替えていたそうです。
昔から「桃栗3年 柿8年…」といわれるように、苗を植えてから初収穫するまでにかかる時間は、作物によって異なります。ミカンの場合は、場所や天候に左右されやすく、苗の定植から初なりまで5~6年を要する場合も少なくありません。
そこで、苗木を植える際、地面に穴を掘り、そこへ培養土、バクタモン®と魚粉を入れてから植え付けると、根の活着もよく、生長もさかんで順調に育つようになりました。
「苗を植えて3年以内に実をならす人は、なかなかいません」
バクタモン®は、ミカンの食味や糖度を上げるだけでなく、幼木の生長促進にも役立っているのです。
真っ赤なミカンを作りたい!
㈱MAKOTO農園では、9月中旬から極早生の「紀南1号」、10月中旬から早生の「味1号」と11月から早生の「味3号」を年内に出荷し、それが終わるとハウスと露地栽培の「不知火」「晩白柚」「ポンカン」「せとか」「はるみ」「麗紅」など、晩柑類を出荷していますが、畑の一角にひときわ赤い実がありました。
「これは小原紅早生。香川県の小原さんが、突然変異から見つけた品種です」
4年前、大西さんがテレビでたまたま「鶴瓶の家族に乾杯」を見ていたら、小原さんと赤いミカンの原木が紹介されていました。それを見た途端「作りたい!」と思った大西さん。
早速、香川県の農業試験場へ連絡し、自園の若手で後継者でもある石井友也さん(42歳)と永井史さん(35歳)を連れ立って、小原紅早生の栽培農家を訪ねました。
苗木を260本取り寄せ、バクタモン®を施して苗を植えて3年目。11月中旬にはさらに赤味が増して、そろそろデビューの時を迎えています。香川ではこのミカンをハウスで栽培し、高値で販売している人もいるそうですが、露地で栽培するとどうしてもハウスよりも味が落ちる傾向にあるそうです。ところが、
「マルチを敷いて、糖度を上げれば、絶対価値は上がる。1個100~200円で売ろう!そんな夢を描いています」
農園は意欲のある若者に
作り手としても、経営者としても優れた大西さんの農園は、誰が受け継ぐのでしょう?大西さんには2人のご子息がいて、2人とも大企業に就職されました。
「次男はいつか一緒にミカンやろうと言ってたんやけど、役に立っているらしく、会社がなかなか返してくれません(苦笑)」
そんな大西さんの元に「ミカン作りを学びたい」と2人の若者がやってきました。それが石井さんと永井さん。永井さんは20歳だった15年前、ほどなく石井さんも加わって、大西さんの指導の元で働くようになりました。半樹摘果やマルチ栽培はじめ、大西さんが独自に編み出した技術をしっかりと身につけた2人は、今では大西さんの片腕的な存在として活躍しています。
石井さんの妻・隅子さんも6年前から農園で働くようになりました。今では、大西さんの妻の三春さんと箱詰めや出荷作業、事務方として活躍し、夫婦で大西さん夫妻の農園を盛り立てています。大西さんは、「私の農業は、意欲のある若い2人に譲ります」と、きっぱり断言しています。
昭和11年(1936)年生まれの大西さんは、この1月に84歳を迎えますが、まだまだ「ミカン作りが楽しくてたまらない」様子。新しい技術や品種を次々と見出し、それを2人の後継者や地域の人たちに惜しみなく伝えています。
低コストで始められ短期間で収穫できる野菜に比べ、結果がでるまで時間のかかる果樹は、新規就農者や定年帰農者にはハードルが高いといわれてきました。ところが、
「60歳過ぎたサラリーマン上がりの人でも、4~5反なら楽しみながら十分できます」
と自信満々に話す大西さん。ミカンと向き合い60年かけて重ねてきた「匠」の技を、惜しみなく伝えることで、人と地域と産地を育て「楽しいミカン作り」を広げています。
2019年10月30日 取材・文/三好かやの
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