島根県東部、安来市は70年以上の歴史をもつ山陰地方のイチゴの産地。市内では100名ほどの生産者がイチゴを育てていますが、女性が多いのが特徴です。なかでも山崎香菜江さん(65歳)は、≪章姫(あきひめ)≫にこだわって栽培。
大粒で甘味が強く、食べやすいので、安来市と隣接する鳥取県米子市を中心に、地元の人たちに愛されています。
甘く大粒の章姫が自慢
山崎さんのハウスをお訪ねしたのは、2月19日。曇り空から冷たい雨が降り続く、冬の肌寒い日でした。ハウスは、広さ4aで奥行60m。地面からきっちり立てた畝に、2,500株の≪章姫≫が並んでいます。
「まだ2月なのに、花がこんなに上を向いているのは初めて。例年ならこれは3月末ぐらいの春イチゴの状態です。最近の高温度の影響か、例年より生長が1ヶ月以上早いですね」
山崎さんは、イチゴを作り始めて40年近い経験をもつベテラン。それでも10年ほど前から、予想外の天候が続いていて、これまでの経験を頼りに栽培することが難しくなっているそうです。
そんな中、山崎さんが栽培しているのは≪章姫≫。地元のJAへ出荷するほか、1粒50g以上の大きな果実を、トレイに5~6粒並べて直売する。そんなスタイルが人気を呼んでいます。
章姫は、静岡県の萩原章弘さんが育成した品種で、1992年に品種登録されました。果形は長く円錐型。その後継品種で、≪章姫≫を母とする≪紅ほっぺ≫が登場するまで、静岡県の主力品種でした。安来市内でも≪紅ほっぺ≫や、三重県が育成した≪かおり野≫、種子で繁殖する≪よつぼし≫など新品種に移行する生産者が増える中で、山崎さんはずっと≪章姫≫にこだわっています。
「新品種もいろいろ出ていますが、≪章姫≫は酸味が少なく、口の中にいつまでも甘味が残るから、誰もが食べやすい。大きな実ほど味がよく、収穫すると、どんどん追熟していきます。」
≪章姫≫は、実がやらわかいので長距離輸送には向かず、生産者がどんどん減っています。都市部のイチゴ作りのメリットは、地元でほぼ完売できること。山崎さんは、地域限定の「大粒の章姫」を作り続けているのです。
栽培経験ゼロ。トラクターでハウスを耕運
山崎さんのハウスがあるのは、汽水湖の中海(なかうみ)のすぐ近く。発電用の大型風車が回っていて、風の強いエリアであることを物語っています。
「昔から飯梨川が氾濫するたび、肥沃な土が溢れ出る。そんな土地柄の砂地でした。今88歳のおばあさんが20代の頃から、ここでイチゴを作っていたそうです。」
当時は、露地栽培の≪宝交早生≫が主流でした。浜田市出身の香菜江さん。島根大学を卒業後、同級生の道弘さんと結婚しましたが、それから5年あまり経ち、道弘さんの実家の安来市へ移し住んだ年、イチゴを栽培していた舅が亡くなりました。当時、教員として勤務していた道弘さんが、毎日管理の必要なイチゴ栽培に携わるのは難しく、イチゴハウスは香菜江さんが引き継ぐことになりました。
それまで栽培経験ゼロだった香菜江さん。
「ある日突然、お義母さんに『香菜江さんは車の運転ができるから、トラクターもかけられるでしょ』と言われて、びっくりしました。実際にやってみると、車とはぜんぜん違いますし、20馬力のトラクターでハウスの中を耕運するのは、本当に大変でした」
当時山崎家では、1haの水田も管理していたので、これを耕すのも香菜江さんの役目になりました。最初は慣れない操作で、悪戦苦闘の連続でしたが、自ら機械を操り、土を耕した経験が、後の栽培に生きていきます。
薬剤から太陽熱消毒へ。土の感触が違う!
イチゴハウスは、昭和20年代からずっとイチゴを作り続けてきた場所です。香菜江さんが就農した当時は連作障害を避けるため、栽培が終わると「クロルピクリン」という薬剤を使って土壌消毒を行っていました。土壌に残る細菌や害虫を死滅させて、次作の準備に備えるのです。
イチゴを作り続けるには、薬剤による土壌消毒が当たり前だった35年前、山崎さんは奈良県には太陽熱で土壌消毒を行っているイチゴ生産者がいると知り、いち早く自身のハウスに取り入れることにしました。
それは収穫が終わったら、その残渣を土に鋤き込んで、上からビニールをかけ、夏の間、土の中を高温で蒸し焼き状態にして消毒する方法。最初は「残渣が残るにちがいない」「うまくいくわけがない」と、周囲に笑われたそうです。
それでも太陽熱消毒に取り組むうちに、気付いたことがあります。
「クロルピクリンで消毒した土にトラクターをかけると、土がギシギシ軋むんです。ところが、太陽熱で処理した土は、ふわっとやわらかくて、感触がぜんぜん違う」
その違いを感じ取れたのは、自らトラクターに乗って土を耕していたから。それ以来、山崎さんは「太陽熱消毒を続けていこう」と決めました。
病気や台風のダメージを低減
以下は、山崎さんの太陽熱消毒の手順です。
●6月中旬…収穫を終えたハウスをビニールで密閉し、くん煙剤で4日間燻煙。 棲みついた土やネズミが戻って来ないようにするためです。
●6月末…米ぬか30kgにコーヒータイプのバクタモンBMK®10ℓを混ぜ、イチゴの畝と溝に散布。さらに尿素10kgをハウス全体に撒き、畝を崩して平坦に。水分が足りない場合は散水します。
●7月初旬…さらに土の表面にバクタモンBMK®10ℓと、米ぬか90kg、ピートモス340ℓ バガス(サトウキビの搾りかす)120ℓ入りを7袋、バーク堆肥軽トラ2台分を散布して耕運し、そのまま3日~1週間放置します。すると…
「発酵が進んで、トラクターで耕運すると、イチゴの葉や枝もバラバラに。トラクターの爪にも絡みません。エサと温度と水があれば、どんどん分解が進んでいく。バクタモン®の力はすごい!」
●7月上旬…約5日間、キリコ(散水チューブ)で散水。水を止めて2日後にビニールを敷き詰めて密閉します。
●7月中旬~8月中旬…ハウスを閉め切り、20日~1カ月間太陽熱消毒に入ります。
●9月初旬…圃場に敷き詰めたビニールを取りバクタモンBMK®20ℓのほか、米ぬか30kg、硫マグ30kg、牡蠣ガラ160kg、Feパワー5kg、Mnパワー4kg、オーガニック813 1個を施肥し、最低でも5回耕運し、外側のビニールを外します。
●9月上旬…雨が上がるのを待ってから、畝立てを行います。そうすることで水みちができず、畝が崩れにくくなります。
●9月中旬…苗を定植します。
バクタモン®の力を利用した土作りと、太陽熱消毒を実施することになってから、山崎さんは「病気が出なくなった」と実感しています。特に昨年の9月は、毎週末に台風が襲ってきて、ビニールを外したハウスに定植した苗を直撃しました。
「ハウスの土に、もし炭素菌が入っていたら、病気が蔓延していたと思います」
雨ざらしの畝と苗は、何度も台風に見舞われましたが、栽培中のハウスに並ぶ2,500株のうち、病気が出たのは2株だけ。バクタモン®を利用した太陽熱消毒が、台風のダメージを低減させ、健康な株を育てています。
資材屋さんと「友の会」が、心強い味方
安来市には、夫が会社員や公務員。女性が中心となってイチゴを栽培している農家がたくさんあります。作業の途中でトラクターや機械が故障したり、ハウスのビニールが巻き上がらなくなることも。トラブルが発生しても、家に修理できる男性がいないことが多いのです。
そんな時、ピンチを救ってくれる強い味方がいます。それは地元で農業資材を扱う出雲資材の妹尾 茂さん。
「ハウスでアクシデントが起きた時、『妹尾さん、パイプが折れた!』『よし、行ってやる!』と飛んできてくれる。資材の販売だけでなく、アフターケアも手厚いんです。」
そんな山崎さんに、最初にバクタモン®の存在を教えてくれたのも妹尾さんでした。ハウス全体にバガスを広げて土ごと発酵させようとしていたのですが、その折に使用していた微生物資材はなかなか分解できず、トラクターの爪に引っかかっていたそうです。バガスが土に残ると、畝を立てるとき邪魔になる。微生物資材を変えてみようか……と考えた矢先、妹尾さんがすすめてくれたのがバクタモン®でした。
「トラクターで土と混ぜた時の感触が、サラッとしていて、分解するパワーが違う。これはすごい!」
こうして妹尾さんから資材を購入しているイチゴ農家の女性たちが、いつしか「友の会」を結成しました。メンバーは50代から80代までの8人。定期的に集まって情報交換をしたり、圃場見学会と称して、メンバーのハウスで検討会を開いたりしています。品種や資材、栽培技術に関する情報は、包み隠さず、どんどん共有し合う仲間です。
「男性は秘密主義ですが、女性はみんなで教え合う。それがいいところ。仲間がいたから、ここまで続けられました」
山崎さんが病気で入院した時、代わりに苗を植えてくれたのも、この仲間たち。女性中心にイチゴ栽培を続けるメンバーにとって「友の会」の仲間たちは、かけがえのない存在になっています。
定年を迎えた夫たちも後から栽培に参加
そんな「友の会」のメンバーに、遠藤美沙子さん(58歳)がいます。以前は会社に勤めていましたが、退職して夫の志伸さん(59歳)の両親が手掛けるイチゴハウスを引き継ぐことに。最初は1棟だけでしたが、妹尾さんや山崎さん、「友の会」の仲間たちと情報交換しながら栽培技術を取得して、すべてのハウスの管理を任されるまでになりました。
遠藤さんがイチゴを作り始めた頃、日に何度も山崎さんに電話がかかってきました。
「今、ハウスの窓開けてる?」「どれくらい開けてる?」
微妙な空気の入れ替えも、ちょっとした潅水や追肥のタイミングも、心配でたまりません。
同じ安来市内でも、山崎さんのハウスが砂地にあるのに対し、遠藤さんのハウスは水田の中。土質も水管理も違います。それでも、山崎さんは遠藤さんに「どんな管理をしたか、どんな資材をいつ・どれだけ与えたか、きっちり記録をつけなさい」とアドバイス。そのノートは10冊を超え、今では遠藤さんの栽培の道標になっています。
遠藤家では、昨年から夫の志伸さんも栽培を始めました。美沙子さんが昔ながらの土耕栽培なのに対し、志伸さんは波トタンで作ったベンチに、培地を入れて栽培する「るんるんベンチ」を設置。こちらは屈まず作業できるのが魅力です。
遠藤夫妻は、山崎さん直伝の栽培技術をベースに、新たな取り組みを始めています。
こんな風に定年を迎えてた夫が、後から栽培に加わるのは山崎さんの家も一緒。3年前、定年を迎えた道弘さんも、作業に参加するようになりました。
安来では、妻がしっかり支え続けたイチゴ栽培に、定年を迎えた夫が参入……そんなケースが増えているのです。
不耕期栽培に挑戦!?探求は続く…
就農時の≪麗紅≫に始まり、続いて≪とよのか≫へ。10年ほど前≪章姫≫に変わってから、毎年変わる天候を相手に試行錯誤を重ねてきました。
「≪章姫≫を作り始めてから、『ああ、今年はよくできた』という年は、まだ一度もありません。ものすごく温度に敏感で、着色時にちょっとでも寒さに当たると色がつかない。ものすごくデリケート。まさしくお姫様です」
現状に満足せず、毎年何かしらの「小さな失敗」を重ねて、「次はどうしよう」と考えることが、次の年の改良につながる。その時間の積み重ねが何よりの宝物です。
山崎さんが育てる大粒の≪章姫≫は、「まるで真っ赤なルビーのようなイチゴ」だと、遠方からの注文が舞い込むようになりました。デリケートで傷みやすいのは覚悟の上。トレイの下に輪にしたガムテープを貼り付け、輸送中、極力バウンドしないよう、細心の注意を払って送り出します。
ハウスに残ったイチゴはヘタを取り、ジップロックに入れて冷凍して「ジャム用」として販売。こうしてロスを減らし、ほとんど廃棄していません。
かつて、山崎さんが病院で入院したのは7月でした。トラクターでの耕運ができず、やむなく畝を立てたまま太陽熱消毒。そこへ苗を定植したところ、意外に順調に生育した上に、雑草も生えなかったのです。
「2年に一度、不耕起で栽培してみよう。そうすれば畝立てはいらないし、台風が来ても畝は崩れない。足りない養分は追肥で補えばいい。やってみる価値はありますよ」
自ら考え、試して、検証する。そんな姿勢はベテランとなった今もなお変わりありません。
女性中心の小さな産地で、真っ赤でジューシー。「大粒のルビーのようなイチゴ」を作り続ける。山崎さんの探求はまだまだ続きます。
2019年2月19日 取材・文/三好かやの
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