福島県郡山市(有)E-MON(イーモン)の長谷川均一さん(71歳)は、2002年に創業。農業資材や種苗の販売を通じて、懇切丁寧な栽培指導を行っていて、「長谷川さんにお願いすると、収量や品質が確実に上がる、いいもんを提案してくれる」と評判です。
50代で独立。「いいもん」を販売
会津地方出身の長谷川さんは、農業高校を卒業後、農業改良普及員を養成する専門学校へ。2年間みっちり実地を学びましたが、公務員の道には進まず、民間の農業資材販売会社へ就職しました。
「県内各地に営業所のある卸会社で、JAや肥料商、農機具屋さんに向けて資材を販売していました。そこで徹底的に商売に対する姿勢や考え方を学びましたね」
25歳で管理職に。肥料も他の資材も「いい商品ですよ」と話すだけではダメ。JAの営農指導員と協力して展示圃場を作ったり、小売店の担当者と農家を回って講習会を開いたり、40年前はまだ珍しかった土壌診断室で成分分析をしたり……徹底した現場主義を貫いて、その資材は本当に効くことを実証しながら、販売を続けていました。
「それまで販売実績ゼロの資材を、100t売ったこともありました」
定年を待たず、53歳で独立。会社をE-MON(イーモン)と名付けました。
E=Enrich(豊かな)
M=Modern(現代的で)
O=Originality(斬新な)
N=Necessities of useful(実用的必需品)
という企業理念のもと、「作物が良く育ち、成果の出るもの」を届けたいというのが願い。営業は、社長の均一さんと長男の大さんが担当し、事務方の社員2人を加えた4人で、農家が収益が上がるように農業生産資材を提案し、共に喜びを分かち合える関係を築く。そんな方針が受け継がれています。
独立後の長谷川さんは、それまでの経験と人脈を生かして、直接栽培農家を訪ね、農業生産資材の販売と栽培指導に当たるようになりました。元々福島県は、野菜の施設園芸がさかんな地域。ハウスの中で、何年も同じ作物を作り続けているので、連作障害や土壌病害に悩む農家が増えていたのです。
かつては農業改良普及員やJAの営農指導員が、農家の悩みに応える相談役でした。しかし、近年はJAの合併により管轄エリアの広域化が進み、担当者が3年前後で別の部署へ変わってしまい、同じ人がずっと同じ農家を見守り続けることが難しくなっているのも事実。
そんな中で、農家の「困った」ことに応えてくれる長谷川さんは、とても心強い味方です。
いつも心がけているのは、「バランスのよい土づくり」。
「人間も肉ばかり食べていたら、血液が酸性になって健康を維持できません。土も一緒なんですね。
『イーモンさんと付き合っていると、よく穫れる』と言われるのが嬉しい」
残念なことに、長谷川さんは8年前、ご病気で奥様を亡くされました。以来、三食自分で料理を手がけ、バランスのよい食事を心がけています。会社の事務所も兼ねたご自宅では、トールペインティングが大好きだった奥様手作りの看板が飾られていて、今もなおバランスのよい食事を続けて「20代から変わっていない」ご主人を見守っています。
根が違う。見に来て!
そんな長谷川さんの元に10年前、電話がかかってきました。
「キュウリの根が、今までと違う。真っ白になっているから、すぐ見に来て!」
声の主は、須賀川市でミニキュウリを栽培している、岩崎隆さん(69歳)でした。
岩崎さんは、かつてモモやリンゴなどの果樹を栽培していましたが、22年前、息子の晃久さん(43歳)が就農を決意したのを機に、キュウリの施設栽培に転換。大きな決断でした。
この時、ハウス建設を担当したのが長谷川さん。それ以来のおつきあいです。
すぐ現場に駆けつけると…
「12月頃、収穫を終えたハウスをサブソイラーで深耕したら、地面が真っ白になっていました。何かと思ってよく見たら、それはキュウリの毛細根でした」
岩崎さんが栽培しているのは、長さ15㎝ほどのミニキュウリ。全量契約栽培で出荷していて、手頃なサイズで子どもにも食べやすいと評判です。3月~6月、8月中旬~11月の2回収穫していますが、この年初めてコーヒータイプのバクタモン®BMKを10aあたり40㎏投入していたのです。
「この年は、苗の入れ替え時期に間に合わなくて、抑制キュウリの通路に振っていただきました。秋作の収穫後に深耕すると、根がぜんぜん違う。真っ白い根がびっしり生えていました」
農家のために、ずっと「いいもん」を提供し続けてきた長谷川さんがバクタモン®に出会ったのは、10年ほど前。それまで微生物資材は扱っていませんでしたが、連作障害や土壌病害に悩む農家を中心に勧めるようになりました。
品種は、ミニキュウリの≪サラ≫。通常のキュウリよりもサイズが小さく、次々と花芽分化して、ひと株あたり200本の実をつけます。
ハウス1棟に2,700本の苗を植えているので、1棟で54万本収穫できる計算になります。
家族3人にパートタイマーを加えて、朝夕収穫。通常のキュウリに比べ、収穫や葉かきに手間がかかりますが、ハウスの中は常に見通しも良くすっきり。きっちり管理されています。
周囲には普通のキュウリからミニキュウリに変える人もいましたが、次々と花芽分化して実をつけるので、手間がかかりすぎて人の手が追いつかず、一年で断念する人が多いそうです。
「このキュウリはたしかに手間がかかりますが、坪あたりの売り上げは確実に高い。うちのハウスは850坪ですが、田んぼ10町分稼ぎます」と、自信に満ちた表情の岩崎さん。
後継者の未来を見据えて果樹から施設園芸のミニキュウリへ。その決断に間違いはなかったと確信しています。
ベテランのトマト農家で活躍
「バクタモン®って、まだあったの!?」
そんな驚きの表情を見せたのは、玉川村でトマトを栽培しているベテラン農家、永林恵治さん(81歳)でした。
祖父の時代には種苗店も営んでいた永林さんが、まだ20代だった頃、地元の集落ではムギや長芋を栽培していましたが、「これを使うとムギがよくなる」と評判だったのがバクタモン®でした。
永林さんご自身は使っていなかったそうですが、その名は強く印象に残っていたのだとか。
約50年ぶりの再会でした。
以前は妻のケサヨさんと長芋などを栽培していましたが、28年前にハウスを設立。12月から7月は大玉トマト、8月から12月はキュウリを栽培する作型を続けてきました。長谷川さんとは、それ以来のおつきあいで、10年ほど前からバクタモン®を使っています。
永林さんのトマトとキュウリは、元々味がよいと評判でしたが、それでも驚いたのは、この地域で通常11月いっぱいで収穫が終わるキュウリを、永林さんは12月になってもまだ収穫し続けていたことです。
長谷川さん「あの年は、すごかったですね。クリスマス頃まで出していた」
永林さん「いつまで出すんだ?なんて言われたなあ(笑)」
ハウス栽培を始めて、約30年。永林さんは、薬剤を使った土壌消毒をしたことがないのも自慢です。そこにはバクタモン®の肥料を緩やかに効かせる効果や、病原菌と拮抗して、大繁殖させない力が生きていると考えられます。
重油高騰対策に、薪ストーブを導入
そんな永林さんのハウスには、大きなドラム缶を横倒しにしたような装置があります。
「これは薪ストーブ。近所から廃材を集めて燃やしています」
冬の栽培に、暖房装置が欠かせませんが、A重油の価格が2倍に高騰し、経営を圧迫していた15年前、農業新聞の「ハウス用薪ストーブ」の記事が目に止まりました。
「よし、見に行こう!」と、永林さん。
とはいえ、そのストーブメーカーは、長野県千曲市にあります。
「片道500キロもあるのに、高齢の永林さんが一人で運転するのは大変だから」と、村の直売所「こぶしの里」の所長さんも同行することに。出かけたその日の夕方、ケサヨさんに電話がかかってきました。
「『薪ストーブ、買ったから』と。その日のうちに帰ってきました(笑)」
補助的に油を炊く加温機も使っていますが、この時即決で導入した薪ストーブは、今も現役。薪を燃やして温めた空気を、ハウス全体に送り込んでいます。
6月初旬、ハウスを訪れた時は、大玉の青いトマトがたくさん実をつけていました。段ごとにきちんと高さが揃っています。収穫は、毎朝4時から。永林さんご夫婦と、娘婿の信(まこと)さんも作業に当たっています。
「昨日も今日もあまり収穫できなかった。ずっと雨降りで、赤いのがないんだもの」と、残念そうなケサヨさん。
トマトが色づくには積算温度が必要ですが、数日間、曇天と低温が続いていて、実はなかなか色づきません。それでも永林さんの作るトマトは、「こぶしの里」でも「他所とは違う」「味がよい」と評判がよいのです。
「永林さんのトマトは、元から食味が高かったのですが、横に輪切りすると、中にはたくさんの部屋があって、ゼリーがこぼれない。昔からいろんなトマトの断面を調べていますが、ここまで部屋数の多いトマトはなかなかありません」と、長谷川さん。
トマトの表面を観察すると、中心から放射状に何本も白いラインが走っています。
「このラインの数が多いほど、部屋数が多いんです」
部屋数が多いのは、果肉が多く、果実が充実している証。地元の直売所で名指しで買い求めたり、永林さんの家まで直接買いに来る顧客が多いのは、そのためです。かつて、同じ村の幼馴染だった永林夫妻は、まだまだ現役。2人が「社長」と呼んでいる信さんと一緒に、緻密で味のよいトマトを作り続けます。
もうニラを止めてしまおうか…
続いて、郡山市南部の三穂田町で、ニラを栽培している鈴木一文(かずゆき)さん(74歳)、トシ子さん(66歳)夫婦を訪ねました。今は2人で栽培していますが、最初に長谷川さんと出会ったのは、トシ子さん。30年近く前のことでした。
「当時、お父さんは運送会社に勤めていて、私がニラを作っていました。だけど、ニラとニラの間にスギナがぎっしり。せっかく作っても細くてダメだ。もうニラはやりたくないから、遊びに行こう」
と、出かけた家に、たまたま来ていたのが長谷川さんでした。
「この人詳しいから、話を聞いてみたら?」という知人の勧めで、まるで問診のように会話が進んでいきました。
「種の蒔き方は?」「苗の植え方は?」「肥料はどれくらい?」「土壌診断をしてみましょう」初めてニラを作った頃は、太い葉のニラができていたのに、年々細くなってスギナだらけになってしまう。連作障害を起こしていたことがわかりました。
長谷川さんに勧められて、初めて土壌診断を行ったトシ子さん。それに基づいて出てきた肥料を見ると、
「えっ、これで足りるの?」
びっくりするほど少なかったのです。それまで地元のJAや普及所に言われるまま、購入していた資材を投じていましたが、長谷川さんの指導はそれまでとはまったく違っていました。施肥設計だけでなく、苗の植え方や作業のタイミング、追肥の時期やハウス別の施肥量、ビニールの被覆時期、必要な資材の選び方など、トータルに相談しながら栽培するようになると、ニラはどんどん太くなり、収量も上がっていきました。捨て刈りした後は、ほとんど農薬も散布していません。
甘く、やわらかいと評判に
それから数年たち鈴木さん夫婦は、ニラの生育が「春先から7月頃までの前半はいいが、梅雨明け後は生育が悪い」という悩みに突き当たります。
「これは、絶対に排水が悪い。今度植え替えするときは、圃場に暗渠を入れましょう」
鈴木さんのハウスは、元々水田だった場所。粘土質な上に稲作向けに基盤整備されているので、水が抜けないように耕盤ができていて、排水が悪いのです。
そこで、圃場に籾殻と排水パイプを入れて、排水性を高め、土壌の物理性を改善したところ、11月から4月まで長期にわたる栽培期間中ずっと、太くてやわらかなニラができるようになりました。
ニラの栽培は長期戦。4月に元肥と一緒にバクタモン®BMKを10aあたり40㎏投入し、5月の連休頃に定植します。その後、ハウスにビニールをかけずに葉を伸ばして、光合成を促進。株を「養生」させて、冬の収穫に備えます。
秋になり、それまで伸ばしていた葉をカットして捨て去る「捨て刈り」を行います。せっかく伸びたのにもったいない気がしますが、この時期のニラは固く、商品には向きません。これがまた大仕事。鈴木夫妻は、息子夫婦の休みの日に合わせて、家族総出で行います。
「ハウス1棟で、軽トラックに1台半~2台分あるから、もう大変。中には、トラック半分にもならない人もいるんだけど」と、一文さん。
捨て刈りする葉の量は、そのまま冬場の収穫にも通じるのです。
こうして捨て刈りを終え、11月初旬にハウスの屋根にビニールをかけ、畝にはグリーンマルチを2枚で被覆します。マルチの下からニラが伸びてきたら、株の形に沿ってマルチを切り抜いて葉を伸ばし、収穫が始まります。定植して1年目の株は4回、2年目の株は何度も収穫を繰り返します。
栽培しているのは「ハイパーグリーンベルト」。葉が太く厚みがあるので、10本束ねれば100gの束ができてしまうそうです。作業性もよく、味わう人には「やわらかくて甘い」「おひたしにしても、そのまま食べられる」と評判です。
鈴木さんは、こうしてできたニラは地元のJAを通して市場へ出荷していますが、東京や埼玉の仲卸から「あのニラがほしい」と、鈴木さんの出荷番号を指定して注文が舞い込むことも少なくないそうです。
一時はニラを止めようかと思ったトシ子さんですが、長谷川さんと出会い、その指導に基づいて栽培を続けたことで、ニラはドラマチックに変わりました。
トシ子さん「長谷川さんのおかげで、ニラがずっとよくなりました」
長谷川さん「鈴木さんの努力の賜物ですよ」
一文さん「やめなくてよかった。年をとっても、家に居ながら現金収入が入るのがいい」
訪れた6月のハウスでは、青々としてニラの苗がじっくり株養生。冬場の収穫に向けて葉を伸ばし、根元に養分を蓄えていました。
米の食味9年連続日本一の天栄村
郡山市からさらに南下して、天栄村へ。ここは「米・食味分析コンクール国際大会」で、2008~16年まで「9年連続日本一」に輝いた村として知られています。
お訪ねした石井透公(ゆきまさ)さん(52歳)は、その「9年連続日本一」の中で、2008年、09年、そして震災のあった11年に日本一に輝いた、米作りの名人。(有)イーモンの長谷川さんとは、ニラ栽培に必要な資材を通しておつきあいが続いています。
石井家の主力はお米ですが、冬の間は育苗ハウスを利用して、ニラを栽培しています。栽培面積は24a。全部で24棟のハウスを管理しています。
郡山の鈴木夫妻同様、ここでもニラの株養生が始まっていました。屋根のビニールを外したハウスの中に、規則正しく苗が植えられています。
「チェーンポットに土を入れて穴を開け、播種して覆土するのは小学4年生と6年生の子供たちの仕事。4つ種を入れて2つ抜く作業は、機械でやっています」。
定植用のチェーンポットは、北海道で栽培される甜菜の絞り粕が主原料。培土と一緒に植え付けると、自然に分解されます。それでも播種して2カ月間は、水をかけても破れません。
専用の移植器「ひっぱりくん®」を使えば、きれいに広がって、一直線に苗を植えることができます。これらの資材も、長谷川さんの勧めで導入しました。
かつて、親戚中の人の手を借りて1カ月以上かかっていた苗の植え付けが、家族だけで一日でできるようになりました。
夏の間のニラの管理は、主に透公さんの父・克俊さん(79歳)が手がけていましたが、高齢でだんだん難しくなり、2年前から透公さんが担当することに。それを機にバクタモン®を施用するようになりました。
「連作障害もあったのですが、うちは土壌消毒をしません。薬剤の代わりになるものはないだろうか?そう長谷川さんに相談すると、紹介されたのがバクタモン®でした」
同じ圃場でずっとニラを作り続けていると、必然的に連作障害がおこり、土も痩せていきます。そこに、薬剤で土壌消毒して無菌状態にすると、たしかに土壌病害の原因菌は減りますが、余計な雑菌も入りやすいのです。なんとか薬剤を使わずに連作障害を回避して、健全な作物を育てたい。そんな時にもバクタモン®は有効にはたらきます。
始めて使った一昨年の収量は、ハウス1棟で80ケースを超えました。それまでは1日40ケースくらいだったので、
「一年でこんなに成果が出るとは思わなかった」と、驚いた様子。
ところが、日照り続きの昨年は、収量ダウン。バクタモン®が活発にはたらくには、どうしても水分が必要なのです。
「今はニラたちが株養生して、自分の体を作る大事な時期です」
と話す透公さんは、今年も天栄村の仲間たちとととに「食味日本一」を目指します。
この村では「天栄米栽培研究会」のメンバー20数人が、標高や条件の異なる水田で試行錯誤を重ねて、栽培技術と情報を共有しあいながら切磋琢磨し続けて「9年連続日本一」の栄誉に輝きました。うち3回は、石井さんの栽培したお米が受賞していて、この記録はまだ破られていません。
「連続一位が9年で止まったままなのが悔しい。今年もまた目指します」
震災以降、福島県の米は全袋検査が行われ、安全性を確認しているにもかかわらず、産地を明記するとなかなか売れない状況が続いていて、ブランド米の材料になっているのが実情です。せっかく育てたニラも、食味が優れているにもかかわらず、他産地より安くても消費者に避けられてしまう。そんな状況は、いまだに続いています。
そんな中で、胸を張って「食味日本一」を目指す石井さん。他の生産者も、志は一緒です。たとえ時間はかかっても、福島産の農産物が正当に評価される日が、1日も早く訪れるように……。長谷川さんは、福島県の生産者を選りすぐりの資材と技術指導を通して、全力で後押しし続けています。
2019年6月10~11日 取材・文/三好かやの
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